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ニュージーランド人ゴルファー: マイケル・キャンベル

ニュージーランド人ゴルファー、マイケル・キャンベルは、タラナキ地方の小さなゴルフコースから世界へと羽ばたき、ついに2005年、ニュージーランド人として初めて全米オープンを制しました。

メジャー大会で優勝を果たしたニュージーランド人は、80タイトルを獲得した伝説的ゴルファー、ボブ・チャールズに続き2人目です。

それから1年の間に、当時36歳のキャンベルは世界最高の優勝賞金100万ポンドをかけたHSBC世界マッチプレー選手権にも優勝、全米オープンの勝利はまぐれだとコメントしていた批評家たちを黙らせました。

どん底から頂点へ
2005年の快挙から遡ること7年前、キャンベルは欧州ツアーと豪州ツアーのシード権を失い不調にあえいでいました。怪我に悩まされ精神的にも落ち込んだ彼は、ゴルフを止めようとさえ考えました。

2005年の全米オープンもエントリーを迷っていましたが、ぎりぎりになって出場を決意、結果的にはただ一人通算イーブンパーでホールアウトし、勝利を手にしました。

18番グリーンであふれる涙を抑えきれないキャンベルの姿に、ニュージーランドだけでなく世界中のゴルフファンが心を動かされました。これまでの努力が実り、新たな人生が始まったのです。

同年、キャンベルに欧州ツアーの永久シード権が与えられました。

長い道のり
マイケル・シェーン・キャンベル(ニックネーム:キャンボ)は1969年2月23日、ニュージーランド北島西海岸のタラナキ山近郊にあるハウェラという小さな町に生まれました。

キャンベルの祖先は主にナティ・ルアヌイ族とナ・ラウル族のマオリです。また、オークランド市長を務めたスコットランド人ジョン・ローガン・キャンベルの子孫でもあります。

多くのニュージーランドの少年たちと同じように、キャンベルもオールブラックスになることを夢見てラグビーをしていましたが、危険すぎるという母の考えに従いラグビーを諦めました。その後ソフトボール、スカッシュ、卓球と、様々なスポーツに才能を見せましたが、彼の情熱はゴルフへと注がれていきます。

世界一のゴルファーに
キャンベルが父と叔父のロジャー・レイに促されて地元のパテア・ゴルフコースでゴルフを始めたのは7歳の時。父のトム・キャンベルはシングルプレーヤーでした。

その後家族でウエリントン近郊のティタヒ・ベイに引越してからも、キャンベルはゴルフの腕を磨き続けました。10歳でティタヒ・ベイ・ゴルフクラブの会員となり、12歳の時にはハンデが11になりました。「世界一のプロゴルファーになりたい」と夢を語ったのはこの時のことです。

以後4年のうちにティタヒ・ベイのコースレコードを破り、ジュニア・ゴルフでウエリントンの代表となり、18歳からはアマチュアのニュージーランド代表チームでプレーするようになりました。

1993年1月、キャンベルはプロに転向しました。

2004年までの主な戦績

  • 1993年 キャノン・チャレンジ(オーストラリア)優勝
  • 1994年 チャレンジ・ツアー(欧州2部ツアー)3勝、欧州ツアーのシード権獲得
  • 1995年 全英オープン3位タイ
  • 1995年 欧州ツアー賞金ランキング4位、世界ランキング23位
  • 1995年 ダンヒル・マスターズ(マレーシア)優勝
  • 1996年 前年のNZオープンで手首を負傷、3月まで休養、欧州ツアーのシード権を失う
  • 1997年 招待選手権のみ出場、欧州ツアー予選会通過
  • 1998年 欧州ツアーのシード権再獲得
  • 1999年 ジョニー・ウォーカー・クラシック優勝
  • 2000年 ハイネケン・クラシック優勝、オーストラリアン・マスターズ優勝、ジャーマン・マスターズ優勝、ニュージーランド・オープン優勝、世界ランキング14位
  • 2001年 ハイネケン・クラシック優勝
  • 2002年 ベイ・ヒル・インビテーショナル2位、スマーフィット・ヨーロピアン・オープン優勝
  • 2003年 日産アイリッシュ・オープン優勝
  • 2004年 スコティッシュ・オープン2位

2005年の大躍進
2005年、全米ゴルフ協会は海外でも全米オープン地区予選会を行うようになりました。キャンベルは土壇場でエントリーを決意し、9つの出場枠の1つを勝ち取りました。

最終日、バックナインでタイガー・ウッズに激しく追い上げられるというプレッシャーの中、冷静さを失わなかったキャンベルは劇的なメジャー初勝利を挙げました。ニュージーランドではこの日、キャンベルの最終ホールを見届けるために国会の開始時間が繰り下げられたほどです。

キャンベルは引き続き全英オープン5位、全米プロゴルフ選手権6位の成績を挙げ、トッププレーヤーとして確固たる地位を築きました。イギリスのウェントワースで行われたHSBC世界マッチプレー選手権では、準決勝で前年の全米オープンを制したレティーフ・グーセンを、決勝ではポール・マッギンリーを下し、この年2度目の優勝を果たしました。

限りなき挑戦
全米オープン制覇によってプロゴルファーとしてキャリアの頂点を極めたキャンベルですが、この成功を基にさらなる挑戦を続けたい、と語っています。

キャンベルには妻のジュリーとの間にトーマスとジョーダンという2人の息子があり、母国ニュージーランドの他に、妻の故郷であるオーストラリアのシドニー、そしてイギリスのブライトンに自宅を持っています。

1999年には、キャンベルにニュージーランド・メリット勲章が授与されました。

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