ラグビーの歴史
ラグビーがニュージーランドの人々にとって大切な存在になって、もう130年以上になります。スポーツ好きで誇り高く、革新的な発想に長けた国民性を反映するように、歴代の名選手たちは固い信念をもって世界のラグビー史に足跡を残してきました。
国内で行われた初のラグビー公式試合は、1870年5月14日のネルソン・カレッジ対ネルソン・フットボール・クラブ戦です。以来、ネルソンはニュージーランド・ラグビーの誕生の地とみなされています。
それから9年後、カンタベリーとウエリントンで初のラグビー・ユニオンが結成され、ラグビーが本格的に根付きはじめました。全国的な組織ができたのは1892年ですが、それまでの間に海外遠征が行われるほど盛んになっていました。
青のユニフォームに金色のシダのマークをつけた初代のニュージーランド代表チームは、1884年に初めて海を渡り、オーストラリアのニュー・サウスウェールズ代表と対戦しました。結果、全勝という圧倒的な強さを世界に見せつけたのです。
ニュージーランド・ラグビー協会(NZRFU)は発足の翌年に、ニュージーランド代表を世界各国へ派遣するとともに、海外の代表チームをニュージーランドへ招いて国際試合を行いました。
国の代表としてラグビーをするために、個人的な犠牲をいとわず、何週間も船に揺られて世界を渡り歩いたニュージーランドの選手たちは、確かな技術を有するだけでなく、勇敢で強靭な男たちとして一目置かれる存在になりました。
1905年には、力強い走りをいかしたプレーでイギリスをはじめヨーロッパに旋風を巻き起こしました。「オールブラックス」の愛称が生まれたこの年から、黒ジャージは世界中の対戦相手から畏敬の眼差しを集めるようになったのです。
1920年代のジョージ・ネピアとブラウンリー兄弟、1960年代のコリン・ミーズ、ドン・クラークなど、オールブラックスにはいつの時代にも妥協を許さない優秀な選手がずらりを名を連ねています。
ニュージーランドのラグビー界をリードしてきた先輩たちは、今日のメンバーの誇りと熱意を支えています。今年キャプテンを務めるリッチー・マコウも、次のように語っています。
「私たち(ニュージーランド人)は、昔から強靭な開拓者精神で困難に立ち向かってきました。(中略)野で山で、男たちは力仕事をひとつひとつこなしてきました。ラグビーの歴史のごく初期から強かったのも、そういった背景があったからでしょう。そして、その強さが受け継がれ、伝統となったのです」
2007年のワールドカップ出場国のなかでも、随一の有力候補であるオールブラックスは、424戦314勝と74%の勝率を誇り、失点数の2倍にあたるポイントをこれまでに獲得しています。
1987年の第1回ワールドカップは、ニュージーランドとオーストラリアが国際ラグビー評議会(IRB)に働きかけて実現した初の世界トーナメントで、スポーツ史に残る大会となりました。
同大会は、オールブラックスにとっても輝かしい歴史の1ページを刻みました。シーズン中は苦戦していたオールブラックスですが、オープニング初戦にイタリアを70対6で破るという快挙を遂げました。
その後も試合を重ねるごとに自信をつけたオールブラックスは、計43トライを決めて決勝に進みました。オークランドのイーデン・パークで行われたフランスとの決勝戦は29対9で勝ち、世界一のタイトルを手にしました。オールブラックス入りしたばかりだったマイケル・ジョーンズやジンザン・ブルックは、ショーン・フィッツパトリック、ウェイン・シェルフォード、ジョン・カーワンといった伝説的選手とともに、その後のオールブラックスを担っていきました。
第2回ワールドカップはイギリスで開催されました。チーム全体の高齢化が囁かれたオールブラックスは、優勝者のオーストラリアに準決勝で敗れるという結果に終わりました。
続く1995年の大会では、ローリー・メインズ監督の指揮の下、準備万端で南アフリカへと赴きました。アンドリュー・マーテンスやジョシュ・クロンフェルド、ジェフ・ウィルソンといった若手選手を加えてパワーアップしたチームに、優勝への呼び声が高まっていました。
なかでも、世界中を興奮の渦に巻き込んだのは、巨体と俊足を兼ね備えたウイングのジョナ・ロムでした。準決勝で対するイングランドの選手4人を次々になぎ倒し、ブルドーザーのように突進してトライを決めた場面は、今も人々の心に鮮明に焼き付いています。この試合に45対29で勝ったオールブラックスは、再び決勝に進出しました。
ところが決勝前夜、原因不明の体調不良を訴える選手がチームに続出しました。当日、何とかねばりを見せたものの、延長戦にもつれ込み、15対12とドロップゴールのみの僅差で主催国南アフリカにタイトルを奪われてしまいました。
1999年のワールドカップは、イギリスとフランスで開催されました。予選プールでは圧勝したものの、準決勝でフランスに敗れました。総合4位はオールブラックスとしては最悪の結果で、2度目の優勝を果たしたオーストラリアとの明暗が浮き彫りにされました。
しかしオールブラックスの士気はその後も全く失われることなく、トライネーションズとブレディスロー・カップという2つの重要な国際試合を制し、2003年ワールドカップを迎えました。準々決勝の対南アフリカ戦では期待通りに勝ち進みましたが、またも準決勝の対オーストラリア戦でつまづきました。メダルの色はブロンズでしたが、スコア上では計52トライという大会記録を残し、通算獲得ポイント数では1位という結果でした。
2007年ワールドカップは雪辱の戦いとなることでしょう。
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