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ニュージーランド・ラグビー博物館、ワールドカップに向けてグレードアップ

ニュージーランドにある世界初の国立ラグビー博物館が、2011年ラグビー・ワールドカップに向けて移転、拡張されることになりました。大会開催中は多数の来館者が見込まれています。

北島中央部の都市、パーマストン・ノースのニュージーランド・ラグビー博物館は、同市の主要博物館であるテ・マナワに増築される新館へと移転します。建設は2010年初めにスタート、2011年1月のオープンが予定されています。

マナワツ地方の中心都市であるパーマストン・ノースでは、2011年ワールドカップのプール戦2試合が開催されます。

同市に位置するマッセイ大学の構内にはラグビーのトレーニング施設、アディダス・ラグビー・インスティテュートがあります。1870年にネルソンで国内初の試合を開催したチャールズ・モンロー氏が長く暮らしたのもこの町でした。同氏が暮らした家は、今ではマッセイ大学の一部となっています。

世界初のラグビー博物館
ニュージーランド・ラグビー博物館は、世界初の国立ラグビー博物館です。ニュージーランドはラグビーの強豪国として知られているため、同博物館もラグビー史の研究者やジャーナリストにとって重要な情報源のひとつとして世界的に認められています。

現在パーマストン・ノース中心部のアリーナ・マナワツに位置する同博物館には、1870年にニュージーランド国内で初めて行われた試合に関わる記念の品など、3万点以上の資料が所蔵されています。

ここを訪れるのは熱狂的なラグビーファンだけではありません。スタッフによると、あまりラグビーの知識がない来館者でも、長い時間をかけて展示品を見学していくとのことです。

オールブラックスの名の由来
多くの旅行者が興味を持つのが、オールブラックスの名前の由来です。これには二つの説があり、どちらも有名な1905/1906年の英国遠征にまで遡ります。

ある素晴らしい試合の後、イギリスの新聞が、フォワードがバックスのように巧みなパスをするオールブラックスの戦いぶりを評し、「オールバックス(All Backs、全員がバックスのよう)」と書いたところ、それが誤植により「オールブラックス(All Blacks)」となったというのがひとつの説です。

もう一つは、ユニフォームの色が黒であったことから、『ロンドン・デイリー・メール』紙のラグビー記者、J. A. バッテリー氏が「オールブラックス」と呼んだ、という説です。

ぜひ博物館を訪れ、双方の説と歴史的な英国遠征について学び、どちらが本当の由来なのか考えてみてください。

ハカの起源
同博物館には、試合前にオールブラックスが行うハカの起源に関する記録も所蔵されています。

ある記録によれば、初めてハカが行われたのは前出の1905/06年英国遠征だったとされています。

別の記録では、1884年にオーストラリアのニュー・サウス・ウェールズで行われた試合で、ニュージーランド初の代表チームが対戦相手にチームを紹介する意味で、マオリの戦いの舞踊を行ったとされています。

ユニークなコレクション
同博物館のコレクションの多くはニュージーランドのラグビーに関するものですが、世界各国のラグビーチームにまつわる資料も所蔵しています。

資料の多くは世界でも最も貴重なものです。実際に選手が着用した試合用ユニフォームやツアー用ブレザー、新聞や雑誌の記事、写真、試合のプログラムなど、1880年代まで遡る品々が世界各国の選手や関係者から集められ、30以上のテーマに基づいて展示されています。

フィルムライブラリーには初期の試合の貴重な映像などが収められているほか、新聞の切り抜きや膨大な関連書籍も所蔵しています。

同博物館に寄贈された品はすべて記録・整理されていますが、展示スペースが限られているため、実際に来館者が目にできるのはほんの一部です。しかし今後、テ・マナワに移転することによって、より多くの品が展示できるようになります。

同博物館は、歴史協会が運営し、約50名のボランティアがスタッフを務めています。新しい情報を求めてジャーナリストが頻繁に訪れるほか、出版社やテレビ局から貴重な資料の使用許可を求められることも増えています。

ニュージーランド国内や海外で開かれる臨時展への所蔵品の貸し出しも行っています。

ホイッスルとコイン
同博物館の最も貴重な所蔵品は、オールブラックスの1905年の英国遠征で初めて使用されたホイッスルと、1920年代の歴史的な一戦に関わるコインです。この2点は国際試合で使用されるために定期的に貸し出されています。

1987年にニュージーランドで開催された第1回目のワールドカップでオーストラリアのレフリー、ボブ・フォーダム氏がこの2点を使用して以来、ジム・フレミング氏(スコットランド、1991年)、デレク・べヴァン氏(ウェールズ、1995年)、パディ・オブライエン氏(ニュージーランド、1999年)、ポール・ホーニス氏(ニュージーランド、2003年)ら、各国のレフリーがその伝統を受け継いできました。

ラグビー博物館のボブ・ラクスフォード氏によれば、2011年ワールドカップの初戦でもほぼ確実にこのホイッスルとコインが使われるだろうということです。

このホイッスルは、オールブラックスの1905年英国遠征中、対イングランド戦をはじめとする試合で、ウェールズのレフリー、ギル・エヴァンス氏が使用したものです。

同氏は後にこのホイッスルを同じくウェールズのレフリーだったアルバート・フリーシー氏に贈りました。フリーシー氏はこれを1924年パリ五輪のラグビー決勝戦で使用したほか、1925年にトゥイッケナムで行われたオールブラックス対イングランド戦では、このホイッスルでオールブラックスのフォワード、シリル・ブラウンリー選手を退場にしました。国際試合で選手が退場になったのは史上初のことでした。

コインもこの一戦に関わるものです。試合前、どちらのチームのキャプテンもコイントス用のコインを持っていなかったため、観客席にいたニュージーランドのサポーター、ヘクター・グレイ氏が、フリーシー氏に自分のコインを貸しました。

自分のコインが重要な役割を演じたことに感激したグレイ氏は、後に片面にバラ、もう片面にシダを彫ってもらったということです。

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