ニュージーランドに最初に定住したマオリの人々は、この地をアオテアロア(長く白い雲のたなびく地)と呼びました。

アオテアロアにたどり着く

マオリに伝わるところによると、ニュージーランドに最初に到達したのはクペという探検家だったそうです。航海用のカヌー、ワカ・ホウルアに乗ってポリネシアの故郷ハワイキを出発したクペは、星と海流を頼りに太平洋を渡って、今からおよそ1000年ほど前に、ノースランドのホキアンガ湾に上陸したとされています。

ハワイキのありか

マオリの故郷、ハワイキの具体的な場所は謎ですが、南太平洋のポリネシアの島と考えられています。言語や文化に着目すると、マオリとクック諸島、ハワイ、タヒチといったポリネシア諸国のそれと共通する特徴がたくさんあります。

ワカと部族

クペによる発見から数百年の間に、ニュージーランドの各地にワカ・ホウルアが続々と到着しました。ポリネシアからの渡来は意図的かつ計画的なものであり、ワカ・ホウルアは移民船としてハワイキとの間を往復していたようです。今日でも各部族(イウィ)の家系(ファカパパ)はワカ・ホウルアにまで遡ることができます。アオテアロアに渡ってきたワカは、タイヌイ、テ・アラワ、マタアトゥア、クラハウポ、トコマル、アオテア、タカティムの7隻が知られています。 

狩りと漁、採集と農耕

マオリは狩りと漁を得意とし、ハラケケ(フラックス)の繊維で編んだ網、石や骨を削った釣り針などを使って魚を捕まえたり、巧妙なわなを仕掛けて世界最大の鳥、モアを狩ったりしていました。また、農耕も行い、クマラと呼ばれるサツマイモをはじめ、ポリネシアから持ち込んだ野菜を栽培しました。さらにニュージーランドに自生する植物からも食べられるものを見つけ、根や実を採集しました。 食品は網かごに入れて運搬し、パタカという高床式倉庫に入れて保管しました。 

ロトルア
戦士たち, ロトルア

テ・プイアにて

部族間の闘争

ヨーロッパと接触する前は、頻繁に部族間で争いがありました。マオリの戦士は強靭かつ勇敢で、槍に似たタイアハや棍棒のようなメレといった伝統的な武器を巧みに使いこなして戦いました。こういった武器は今日では歓迎の儀式の一場面(ウェロ)で見かけられます。

マオリの集落パでは、他部族の侵攻に備えて、周囲に砦が築かれました。戦略的に場所を選び、柵や堀を巡らせて、内側の住民を守ったのです。パの跡地は今も全国各地に点在しています。

モリオリと呼ばれる人々

ニュージーランドの北島と南島でマオリの定住が進む一方、クライストチャーチから東へ約900kmのチャタム諸島には、モリオリという別のポリネシア系の民族が住むようになりました。モリオリはニュージーランドの南島からチャタム諸島へ移ったと考えられています。18世紀の終わりごろ、チャタム諸島のモリオリの人口はおよそ2000人に達していたそうです。平和に暮らしていたものの、その後伝染病やマオリの攻撃で激減してしまいました。純血のモリオリは1933年に最後の一人が亡くなったと見られています。

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