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世界で最も若い国

   

世界で最も若い国 ニュージーランド

伝説によるとニュージーランドは海からつり上げられたと言われています。
実際ニュージーランドは、地球上の広大な土地の中で最後に発見された、地球上で最も若い国なのです。


移民の国

最初のニュージーランド人、つまり先住民のマオリはポリネシアの祖先がいたと考えられるハワイキから移住してきました。それからおよそ800年の後にヨーロッパ各国からの移民がやってきました。20世紀に入ってからは、南太平洋諸国やアジアからの移民が増え、ニュージーランドは、活気に満ちた多様な異文化社会を形成していきました。

ハワイキからアオテアロアへ

最初にアオテアロア(ニュージーランド— 「白く長い雲のたなびく国」という意味)にやってきたマオリは、おそらく1000年以上前、祖先がいたハワイキからワカ・ホウルア(航海カヌー)に乗ってやってきました。マオリは国中に定住し、農業や狩りをして生活していました。1800年当時には、十万人を超えるマオリがニュージーランドに暮らしていたといわれています。

ヨーロッパ移民

アベル・タスマンはニュージーランドを観測した最初のヨーロッパ人でしたが、ヨーロッパ人が移住し始めたのは、それから約100年後、キャプテン・ジェームス・クックが1769年にニュージーランドをはじめとする南太平洋への大航海を終えた後でした。最初のヨーロッパ移民は捕鯨労働者と宣教師でした。

ひとつの国家

パケハ(ヨーロッパ人)は1839年にはわずか2000人でした。しかし、1840年のワイタンギ条約の調印によって英国の植民地となったニュージーランドの人口は、移民の流入により急増していくことになります。集団移民を奨励していた英国政府からニュージーランドまでの船賃が補助されたため、1840年から1860年の間に英国からは4万人もの人々が移住してきました。1858年までには、マオリとパケハの人口比はほぼ半々になっていました。1860年代に南島で金鉱が発見されてからは、英国、スコットランド、アイルランド、中国など世界中から移民が入ってきました。

激減するマオリ人口

さらに、19世紀後半には労働不足により、英国、アイルランド、ヨーロッパからニュージーランドに移民が流入してきました。ほとんどはニュージーランド政府の援助を得て入国した人々です。1900年までには白人人口は50万人を超えるまでになりました。一方、マオリの人口は戦争や疫病により、わずか4万人にまで激減していきました。

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©: Te Papa


ワインとカウリ樹脂

最北部地域には1890年代から5000人以上がダルマチア(現在のクロアチア)から移民してきました。ほとんどのダルマチア人は、カウリの大木から樹脂を掘り出す森林で働いていました。樹脂採取が中止されてからは、ダルマチア人の多くが農業を始め、土地の人と結婚したり、田舎のコミュニティに参加するようになりました。また、ダルマチア人は1900年代初期に西オークランドでワイナリーを設立しました。現在、有名な「バビッチ」や「プレザント・バレー」のワインはこの地域のダルマチア人が創設したワイナリーのものです。

キルトの国

1800年代中期から後期には、スコットランドから多くの移民が特に南島のオタゴ地方に入ってきました。ダニーデン(ダン・エディン、エディンバラの古いキルトからの由来)はオタゴ地方の中心地です。1843年にスコットランド教会から離脱した、スコットランド自由教会の信者の町として設計されました。スコットランドの影響は現在でも、特に大学や医学校など町の建築物に見ることができます。バグパイプ バンドやスコットランドのカントリーダンス、それにスポーツのカーリングは元来、スコットランドの移民が持ち込んだ娯楽です。現在ではすっかりニュージーランドの生活に馴染んだものとなっています。

ゴールドラッシュ

ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカから多くの金鉱夫がやって来ましたが、オタゴのゴールドラッシュでは、中国からもたくさんの男性労働者が金を求めて流入してきました。’新しい金の丘’と呼んだ国で、多くの中国人は重労働や差別、孤独に苦しみました。これらの金鉱夫の子孫の多くや後からやって来た中国人移民はやがて、販売用の野菜を生産するようになりました。第二次世界大戦中に、中国人の野菜生産者は軍隊用に大量の食料を生産することで、戦争に寄与したのです。

オランダ人移民

1642年にニュージーランドを観測したアベル・タスマンは、ニュージーランドに最初に訪れたオランダ人です。1950年代にオランダとニュージーランド両政府が、オランダ人の移民協定を結びました。オランダ人は多くの技術を持ち込み、ニュージーランドのレストラン、園芸(特に花の栽培)、建築デザインや衣料産業の発展に貢献しました。現在、約10万人のニュージーランド人はオランダ人の血統を引いています。オランダからの移民のおかげで、ニュージーランドは現在、オランダへチューリップの球根を輸出しています!


基本情報

ヨーロッパ人が最初に移住した頃から、ニュージーランドではワインが製造されてきました。ヨーロッパにある有名なワインの産地に近い緯度に位置し、地理的に恵まれていることから、ニュージーランドでは、受賞の実績のある、様々な種類やスタイルの質の高いワインが製造されています。

南太平洋諸国からの移民

1960年代、70年代、ニュージーランドは深刻な労働力不足に陥っていました。これを機に、地理的に近い南太平洋諸国の人々が、仕事を求めてニュージーランド、特にオークランドに多く流入してきたのです。サモアやトンガ、クック諸島など南太平洋諸国出身の人々は、今やニュージーランド総人口の5%を超えるまでになりました。オークランドは、現在世界で最もポリネシア人の多い都市となっています。当初、南太平洋諸国からの移民は、工場で働いたり、未熟練でも可能は仕事に就いていましたが、その人口が増えるにつれて、プロスポーツやファッション、ポピュラーミュージック、テレビやアートなどの専門分野で活躍するようになりました。南太平洋諸国の影響を受けた食べ物やファッション、アートなどはニュージーランドのあちらこちらで見ることができます。

アジア各国からの移民

この15年の間に、香港、台湾、シンガポール、韓国や日本から多くの移民がニュージーランドへやって来ました。これらアジア諸国からの移民は、特にビジネスと専門分野において、ニュージーランド経済に多大な貢献をしています。現在、ニュージーランドのどの町にも、多くのアジア系のレストランやショップを見ることができます。


基本情報

ニュージーランドで最も有名なオールブラックス(ニュージーランド国代表ラグビーチーム)の選手であるジョナ・ロムは南太平洋諸国からの移民の子孫です。ジョナ・ロム選手の生まれはニュージーランドですが、子供時代のほとんどをトンガで過ごしました。




関連リンク
その他のサイ ト
•  www.immigration.govt.nz
•  www.nzembassy.com
•  www.nzhistory.net.nz
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