ワイタンギ・トリティ・グラウンド - ニュージーランド生誕の地
1840年2月6日、英国政府から派遣された代表団と北島北部の主要なマオリの首長たちとの間で、ニュージーランド近代国家形成の礎となるワイタンギ条約が締結されました。その後、全国を巡回し、締結書には他地域に居住するマオリ首長の署名が集められたのです。
当時の英国政府の考えでは、ワイタンギ条約を締結することの最大の目的は、英国の入植者からマオリの利益を守ること、英国の入植者に定住の地を設けること、そして平和と秩序を司るための政府を樹立することでした。
残念ながら、当時のマオリとヨーロッパからの入植者は友好的な関係にはありませんでした。各部族のランガティラ(首長)が取り決めた規律に従い、部族単位で統治を行っていたマオリにとって、英国政府の中央権力の統治は理解しがたいものでした。さらに、英国植民によるマオリの規律を軽視する振る舞いが、両者の間の溝をよりいっそう深めてしまったのです。
ほとんどの首長たちは、英語を話したり理解することができなかったため、マオリ語に翻訳されたワイタンギ条約が作成されました。しかしながら、英語とマオリ語訳の条約の間にはかなりの食い違いができてしまい、現在に至っても約定内容の解釈の違いが論争の的となっています。
毎年2月6日は「ワイタンギ・デー」として、ワイタンギ条約締結を記念する祝日となっています。過去には、この記念日に、政府によって取り決められた条約で約束された権利を取り戻すために、抗議を行っていたマオリとの間で揉め事も起きたことがありました。今だ、多くのイウィ(部族)たちは政府の扱いに不満を募らせているものの、最近では平穏に記念式典が行われるようになっています。
1932年、ニュージーランドの総督だったブレディスロー卿夫妻によって、条約が結ばれたこの地は国家の文化財として寄付されることとなりました。今日、1000エーカー(約122万坪)もの広大な敷地の一角に設けられたワイタンギ・トリティ・グラウンドは、ニュージーランド生誕の地として広く知られています。
このグラウンドは、ニュージーランドで最も古くまた一番訪問者の多い史跡です。トリティ・ハウス(条約記念館)はもとは「ザ・レジデンシー」と呼ばれ、最初に派遣された英国の駐在官ジェームス・バスビーと家族の居住用として建てられたものでした。1933年に復元された際に、ブレディスロー卿の命により「トリティ・ハウス」と名づけられました。
また、ワイタンギ・トリティ・グラウンドはニュージーランド文化の象徴とも言える、テ・ファレ・ルナンガ(マオリの集会所)と、儀式に用いられるワカ・タウア(マオリの戦闘用カヌー)が納められている場所でもあります。
テ・ファレ・ルナンガは手の込んだ彫刻が施されたマオリの集会所で、ワイタンギ条約締結100周年を記念して建てられました。地元のナプヒ族による適切な指導のもとに作られた集会所の彫刻は、ニュージーランドのマオリの部族全てを象徴しています。
「ナトキマタファオルア」は、世界で最も大きなマオリの戦闘用カヌーで、儀式の際に使用されるものです。毎年ワイタンギ・デーには、このカヌーが海上に浮かびます。長さ35.7m、幅2m、重さ12トンという巨大なカヌーは80名の漕ぎ手と55名の乗船者を乗せることができます。特別な催しとしてこの日に姿を現す、水上をすべるように進むカヌーは圧巻です。
ワイタンギ・トリティ・グラウンドは、国内外問わず多くの旅行者が訪れる場所です。ワイタンギ・ビジター・センターでは、ワイタンギとその周辺地区の歴史について紹介している、興味深いビデオを視聴することができます。他にも、ライブでマオリ文化のパフォーマンスを体験したり、その昔に使用された道具などが飾られたギャラリーを見たり、土産物店で記念の品を手に入れることもできます。
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