オールブラックスの英雄たち:アンドリュー・マーテンス
カンタベリー出身のアンドリュー・マーテンスは、ゴールキックの記録を誇る、ニュージーランドで最高のファースト・ファイブエイス(スタンドオフ)といわれています。「マーツ」の愛称で親しまれ、歴代選手の中でも、歴代選手の中でも幅広いファンに支持された選手はニュージーランドでもそう多くはありません。
優れた運動能力、伝説ともいわれるキックの技術やロングパス、試合の読みだけでなく、機知に富む人柄によって、アンドリューはカンタベリーチームを代表する選手となり、国民的ヒーローとなりました。
オールブラックスの中でも、彼のランキングと一番適したポジションについてはいつも議論が分かれていましたが、12年もの間、第一線で活躍し、ニュージーランド代表として獲得した得点は今もニュージーランド歴代3位を誇っています。
ラグビー一家に生まれる
アンドリュー・フィリップ・マーテンスは1973年、ニュージーランド人両親のもとに南アフリカのダーバンで生まれました。2006年にはラグビー界への貢献からMNZM(ニュージーランド・メリット勲章)を授与されています。
幼少期にニュージーランドへ移住し、クライストチャーチで少年時代を過ごしました。地元、カイアポイのジュニアチームに所属し、年齢別のジュニア選手権ではU-19 (19歳以下)とU-21(21歳以下)でニュージーランド代表に選ばれました。
彼の祖父も父も、カンタベリーチームで活躍しニュージーランド代表も務めた、ラグビー一家に育ったのです。
カンタベリーでのデビュー
遅咲きだったアンドリューが最初に登場したのは、U-19のジュニア選手権、1992年の対オーストラリア戦でした。1993年にはカンタベリーチームの代表として初めて選出され、同時にニュージーランド・コルツ・チームにも所属していました。
カンタベリーチームがワイカトチームからランファーリー・シール(杯)を奪い、同シーズン、対カウンティーズとオタゴにも防衛を果たしたのが1994年でした。このとき、アンドリューはオールブラックス選抜の決め手となるプレーを披露しました。
1995年のシーズン始め、国代表としてプレーしたデビュー戦では、カナダ代表チームに対して28ポイントを獲得する金星を挙げ、その成長ぶりから同年のワールドカップの選抜メンバーに選ばれました。
ワールドカップでの成功
同年のワールドカップ決勝戦では、延長戦に入ったところで、アンドリューのドロップゴールが横にそれ、ニュージーランドは優勝を逃してしまいます。しかし、アンドリューをはじめ、その年に頭角を現したジョナ・ロムやジョッシュ・クロンフェルドといった大型新人の登場で、チームスタイルが新たな広がりをみせたことで、このワールドカップは成功ともいわれています。
その後、いくつかのテストマッチには怪我で出場できなかったものの、6、7シーズン続けてオールブラックスのメンバーに選出されました。
1999年、体調万全で臨んだ対オーストラリアのトランス・タスマン・テストでは、記録となる9つのペナルティゴールを決め、再び、ワールドカップへの出場が決まりました。
オールブラックスで大活躍の間も、南アフリカ、豪、NZのクラブチームで行われる国際リーグ戦、スーパー12では、クライストチャーチを本拠地とするクルセイダーズの試合に出場し、素晴らしいプレーでチームの勝利に貢献しました。
正確さとその技術
伝説ともいわれる正確なキック、試合の流れをみる戦術的な指揮、プレッシャーの中でも揺るがないプレーで、アンドリューは主要な役割を果たし、1998年から2000年まで、2001年と2005年の計5回、スーパー12でクルセーダーズを優勝へと導きました。
ニュージーランド国内の地区別トップリーグNPCでも、アンドリューはスクラムハーフのジャスティン・マーシャルと強力な連携プレーを展開し、カンタベリーでも重要な役割を果たしました。
2003年後半には、個人的な問題から自身の体調にも影響が及び、オールブラックスを離れることになりました。2004年には一時カムバックを果たしたものの、ポジションは次のダニエル・カーターへと引き継がれることになりました。
ニュージーランド歴代の記録
オールブラックスで72試合、キャプテンを務めたアンドリューの記録は、今も国の最高記録として破られていません。
トップレベルの281試合で獲得した通算3178ポイントの内訳は、カンタベリー代表として108試合1056ポイント、クルセーダーズで87試合981ポイント、オールブラックスで72試合(テストマッチ70)967ポイントとなっています。
2005年末には、スーパー12シーズンに向けてニュージーランドを離れ、英国のハリクインズへ移籍しました。同チームで彼が出場した最後の試合は、誕生日でもあった2006 - 2007年シーズン最後の試合でした。このときは24ポイントを挙げ、セール・シャークスに勝利しました。
2007年シーズンから仏のプロD2(2部リーグ)トゥーロンに所属、2008 - 2009年シーズンからレーシング・メトロ 92に所属しています。翌年のシーズンにプロD2はリーグ優勝を果たし、仏国内リーグのトップ14への昇格を決めました。
ラグビーの天才
アンドリューはそのキックと攻防の布陣のしき方で、最も影響を与えたプロ選手のひとりといわれています。
試合を離れても、彼は知的でユーモア溢れる魅力的な人柄で、ファンの間でも高い人気がありました。
ハリクインズへの移籍が発表された折に、オールブラックスのコーチ、グラハム・ヘンリー氏は「アンドリューは一流の選手であることはもちろん、恐らく90年代後半では世界最高の10番であり、過去10年以上にわたってオールブラックス一を誇る能力・人格ともに優れた選手のひとりであった」と評しています。
カンタベリーのコーチ、マックリーン氏は「彼がいれば、チームが勝つチャンスは多くなる。6年間もの間、彼は試合の勝敗に欠かせない存在であり続けました。試合を離れても、カンタベリーにとっては今も守護人のような存在です」と称賛の言葉を述べています。
国内でベストセラーになったジョン・マセソン著「アンドリュー・マーテンス - ラグビーの天才に捧ぐ」では、彼のラグビー歴について知られざるストーリーが語られています。
アンドリュー・マーテンスの残した記録
- オールブラックスで967ポイントは歴代2位
- テストマッチの得点、100、200、600、700、800と900ポイントに一番速く到達
- コンバージョンキックの成功が167 - テストマッチでは最高記録
- 13試合のうち、テストマッチ1試合で20ポイントもしくはそれ以上を得点
- テストマッチ1試合でペナルティゴールを9つ成功
- 対南アフリカ戦では、出身国・選手を問わず最多の209ポイントを得点
- 対オーストラリア戦では、出身国・選手を問わず最多では歴代2位の202ポイントを得点
- 対スコットランド戦では、最多の108ポイントを得点
- 対カナダの試合では、国際試合のデビュー戦で1選手としては世界最多の28ポイントを得点
- 対アイルランド戦の1試合では、1選手としては最多の33ポイントを得点
- 2002年のイングランド戦出場でジョン・カーワン氏のもつオールブラックスとしてテストマッチ63試合出場の記録を塗り替える
- 1999年ニュージーランド・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー
- 三ヶ国で争われるトライネイションズで1選手としては唯一300ポイントを超える得点
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