オールブラックスの英雄たち:マイケル・ジョーンズ
ラグビー界の歴史に残る名選手のなかでも、伝説的な冷静さと優れたリーダーシップで知られるマイケル・ジョーンズは、長年にわたりラグビーと母国に貢献しています。
2011年のラグビー・ワールドカップに向けて6名が公式にラグビー・ワールドカップ大使に任命されましたが、マイケル・ジョーンズもそのひとりです。ボランティア大使として、来年のラグビー・ワールドカップの成功を支える5000名の有志のまとめ役を担います。
フランカーおよびナンバーエイトとして活躍した彼は、現役時代に輝かしい記録を残しただけでなく、引退後もコーチとして活動してきました。雑誌ラグビー・ワールドの特集では、20世紀の歴史に残るオールブラックス選手として第3位に選ばれています。
オークランド代表にジョーンズを初めて抜擢したジョン・ハートは、「ほぼ完璧なラグビー選手」と表現しました。またオールブラックスの元コーチ、J.J.スチュアートには、人間離れしていると評価されました。
ただし、競技場の外では、謙虚で思いやりがあり、意志の強さとリーダーシップにあふれ、信仰心と理念に基づいた行動力のある人物として知られています。
ザ・アイスマン
マイケル・ジョーンズには「アイスマン」「アイス」というニックネームがあります。これは、自信に満ちた冷徹さと、試合中のケガで大量のアイスパックを使ったことに由来しています
フルネームはラアウリ・マイケル・ニコ・ジョーンズ、1965年にサモア系の家庭に生まれました。オープンサイド・フランカーのポジションで20才の時、オークランド代表チームに選出され、1985年NPC国内地区代表選手権に出場しました。
ニュージーランド・コルツに所属、1986年には母親の祖国である西サモア代表として国際試合デビューを果たしました。
その後1987年にニュージーランド・バーバリアンズのイギリス遠征に参加、さらに同年、第1回ラグビー・ワールドカップの初戦にニュージーランド代表として出場しました。ジョーンズは、1991年のラグビー・ワールドカップにも出場し、同大会のトライ第1号を獲得しました。
深刻な負傷
ジョーンズの選手生活は波瀾万丈でした。二度に及ぶ膝の大けが(1989年・1997年)と1993年の顎の骨折はよく知られています。
体調さえよければほぼ確実に毎回出場できたはずですが、ニュージーランド代表の90回の国際試合のうち実際にこなせたのは55試合のみでした。
また、ジョーンズは敬虔なキリスト教徒であり、日曜日は安息日なので試合には出ませんでした。1987年および1991年のワールドカップでも、オールブラックスに選抜されていながら、日曜に行われた3試合には欠場しています。1995年の大会では、準々決勝と準決勝が日曜にあたるため、ここで欠場されては困るという理由で選抜の対象からは外されました。
オークランド・ブルーズ
ジョーンズは1980年代後半から1990年代にかけて国内強豪として名を馳せたオークランド地区およびオークランド・ブルーズのメンバーとして活躍しました。
1985年から1999年にかけての間に、オークランド代表はNPCで9勝、スーパー6で5勝、ランファーリー・シールドは61回連続防衛という記録を残しています。ブルーズもスーパー12で初回から2年連勝(1996年・1997年)しました。
1997年にはオークランド代表およびブルーズのキャプテンとなり、ジンザン・ブルックの後を継ぎました。
マイケル・ジョーンズはニュージーランドでも極めて影響力の大きいラグビー選手です。オープンサイド・フランカー、ブラインドサイド・フランカー、ナンバーエイトと複数のポジションをこなし、高く評価されました。
現役時代にニュージーランド代表として55試合に出場、国際試合で計13トライを獲得しています。
33才になった1998年にニュージーランド代表から外れ、1999年のシーズン終了時に引退しました。
コーチとしてのキャリア
2004年、先代のニュージーランド人ジョン・ボーにかわり、サモア代表チームのコーチに就任しました。2003年のワールドカップでは、ボーのアシスタントを務めていました。
2007年のラグビー・ワールドカップではマヌ・サモアは1試合を除いて惨敗、ライバルのトンガにも7年ぶりに敗れ、グループ内4位という結果に終わりました。これを機にジョーンズはコーチの座を降りました。
それでも彼が若者の手本になる人物として尊敬される存在であることに変わりはありませんでした。特にニュージーランド在住の太平洋諸国系の若者からの信頼は厚く、地域社会への貢献を認められて1990年にメダルを授与されました。名前の最初に加わったラアウリは、サモアの首長に贈られる称号です。
ジョーンズはオークランド大学で3つの学位を取得しています(B.A., M.A. B.Plan.)。2003年にはラグビー界の殿堂入りも果たしました。
マイケル・ジョーンズのほか、2011年ラグビー・ワールドカップには、ショーン・フィッツパトリック、ジョン・カーワン、デーヴィッド・カーク、アンドリュー・マーテンス、ジョナ・ロムといった名選手が大使として名前を連ねています。
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