オールブラックスの英雄たち:ショーン・フィッツパトリック
ショーン・フィッツパトリックはニュージーランドの歴代のラグビー選手のなかでも極めて偉大な存在です。宿命というものがあったとしたら、彼の場合はオールブラックスの一員となることに他ならなかったことでしょう。
フィッツィーの愛称でも知られるショーン・フィッツパトリックは、現役だった当時、オールブラックスとして史上最多出場の記録を更新しました。また、フォワードとしての公式国際試合出場回数では、現在も世界一を維持しています。彼は1986年のオールブラックス入りから1998年の引退まで、フッカーのポジションで活躍しました。
地方代表ではオークランド・ブルースに所属し、1996年の第1回スーパー12でチームを優勝に導きました。さらに同年、三ヶ国対抗トライネーションズ・シリーズでオーストラリアと南アフリカを下し、オールブラックスをトップの座につけました。
その功績を認められ、1997年にニュージーランド・メリット勲章を授与されています。
オールブラックスの伝統を受け継いで
ショーン・フィッツパトリックはオークランドで生まれ育ち、地方代表選手としてキャリアを積み始めました。
父親はBBJと呼ばれた元オールブラックス選手(1951年〜1954年)、ブライアン・フィッツパトリック。オールブラックスの伝統のなかで成長したのです。
若きフィッツパトリックは23才のとき、1986年の対フランス戦テストマッチでオールブラックスにデビューし、翌1987年にはラグビー・ワールドカップにオールブラックスの一員として出場しました。
1992年にオールブラックスのキャプテンとなった彼は、全国代表として121の国際試合(うち92試合はテストマッチ)に出場するという記録を達成しました。
オールブラックスの歴代キャプテンのなかでも、彼ほど多くのテストマッチに出場し、勝利に結びつけた選手は他にいません。
1996年の第1回トライネーションズでも彼はオールブラックスの一員としてライバルを一掃しました。
理想的な体格
身長183cmのショーン・フィッツパトリックの引き締まった体は、ラグビーをするために形作られたかのようでした。
彼は従来の選手たちのなかでも特に強靭で、チームメイトたちからの信頼も厚いことで知られていました。
また、プレー面では、タイトフォワードとルースフォワードの両方を結べる器用さと、ラインアウト時の非常に的確なスローなどを兼ね備えた、万能とも言えるスタイルが特長です。
オールブラックス随一のキャプテン
フィッツパトリックは1992年から1998年に引退するまで、オールブラックスのキャプテンを務めました。
1993年にイギリスから遠征に来たブリティッシュ・ライオンズを相手にオールブラックスを勝利に導き、シリーズ最終戦でも圧倒的な強さを見せつけました。
1995年のワールドカップのメンバーは、フィッツパトリックを筆頭に、イアン・ジョーンズ、アンドリュー・マーテンス、ジェフ・ウィルソン、ジョナ・ロム、ジンザン・ブルックといった豪傑が揃っていました。負け知らずで決勝に進出しましたが、最後にスプリングボックスに敗れました。
チームにおけるフィッツパトリックの影響力は非常に強く、1997年に負傷で試合ができなかった時でさえも、キャプテンとして起用されたほどです。当時オールブラックスのコーチであったジョン・ハートは、彼を外さず出席させることで、チームの士気が高まると考えていました。
1997年11月下旬、対ウェールズ戦に補欠として出たのが彼の最後のテストマッチとなりました。
引退後の歩み
テストマッチに選手として出場することがなくなっても、フィッツパトリックはラグビー・コンサルタントやコメンテーター、講演者として、ニュージーランドとイギリスで活躍してきました。
1999年初頭にはニュージーランド・ラグビー・ユニオンにコンサルタントとして採用され、選手育成や渉外を担当しました。
2004年には「少し遅めの海外体験」をするために家族とともにイギリスに渡りました。一家は今もロンドンに住んでいます。
ショーン・フィッツパトリックは2011年ラグビー・ワールドカップのニュージーランド大使に任命された元オールブラックスの名選手6人のうちのひとりです。
関連記事
2011年ラグビー・ワールドカップ大使を務めるスター選手たち
オールブラックスの英雄たち:アンドリュー・マーテンス
オールブラックスの英雄たち:デーヴィッド・カーク
オールブラックスの英雄たち:ジョン・カーワン
オールブラックスの英雄たち:ジョナ・ロム
オールブラックスの英雄たち:マイケル・ジョーンズ
こちらの関連トピックスもご覧ください
|