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トピックス

ラグビー・ワールドカップ

 

2011年ラグビー・ワールドカップ大使を務めるスター選手たち

2010年6月16日

2011年ラグビー・ワールドカップに向けて、ニュージーランドの往年のスター選手が大使に任命されました。

大使となったのは、ジョナ・ロム、ショーン・フィッツパトリック、ジョン・カーワン、デーヴィッド・カーク、アンディ・ヘイデン、アンドリュー・マーテンス、マイケル・ジョーンズの7名。ボランティアの募集や観戦を目的とする旅行者の誘致、法人関係など、ニュージーランドをアピールするため各方面で協力することになっています。

本大会初日まで「あと500日」を契機に大使が発表されたことで、海外向けのPRやボランティア募集に拍車がかかるなど、ムードメーカーとしての活動がすでに始まっています。

ボランティア大使
ボランティア大使に任命された元オールブラックスのナンバー・エイト、マイケル・ジョーンズは、2011年本大会の運営を支援する5000名のボランティアを集める役割を担っています。

同氏は1987年の第1回ラグビー・ワールドカップで優勝したニュージーランド代表のメンバーであり、サモア代表のコーチも務めました。彼は今回の任命を光栄なことと受け止めています。

「ボランティア活動を通じてニュージーランドの人々にやりがいを実感してもらいたくて、喜んで引き受けました。今回の参加をきっかけに、ひとりひとりが自分の地域社会でできることをやっていこう、という取り組みが広がればと願っています」

ジョン・キー首相は有志を募るのに最適な人選であったとコメントしています。

本大会開催中は、海外から8万5,000人の旅行者が訪れる見込みです。キー首相も言ったように、世界規模のスポーツイベントに全国の人々が参加できる、またとないチャンスとなることでしょう。

ニュージーランドをアピール
ロム、フィッツパトリック、カーワンの3名は、NZ2011の公式オフィスや在外政府機関を通じて、旅行先として、ビジネス対象国としてのニュージーランドをアピールする活動を行っています。

その一環として、これまでにフランス、イタリア、香港などを訪れ、各地の経済人や業界のリーダーたちと会談してきました。

マレイ・マカリー・ラグビー・ワールドカップ大臣によると、各種公式イベントのプログラムは既に組まれており、なかには、9月のブレッディスロー・カップ開催前日のオーストラリアでデーヴィッド・カークが担当する大規模な広報活動も含まれています。その日はちょうど、ワールドカップまであと1年にあたります。

大臣は「ラグビー・ワールドカップ期間中の海外旅行者は、オーストラリア人が最多となるでしょう。観光とビジネスの両面からニュージーランドを重要なマーケットにアピールする絶好の機会ですので、オールブラックスのキャプテンとして唯一優勝杯ウェブ・エリス・カップを手にしただけでなく、実業家としてもオーストラリアで名声のあるデーヴィッド・カークなら、有利なPRができるはずです」と述べています。

ラグビー界の偉人たち
ラグビー・ワールドカップ大使のメンバーは、ニュージーランドの歴史に残る人物であるだけでなく、国際的にも高く評価されています。

ジョナ・ロム
オールブラックス63キャップ、最も恐れられた選手のひとり。グローバル規模のスーパースターと言えば、まずロムの名が筆頭にあがるでしょう。

史上最年少でオールブラックス入り、ラグビー・ワールドカップ15トライは史上最多記録。1995年のワールドカップでは、5試合で7トライを達成しました。最盛期には、100m走で11秒を切るほどの俊足の持ち主でした。

2007年にはニュージーランド・メリット勲章を授与され、ラグビー界の殿堂入りも果たしました。

ショーン・フィッツパトリック
オークランド出身、1992年から1998年の引退までオールブラックスのキャプテンを務めた、歴代のラグビー選手のなかでも極めて優れた能力の持ち主。

特に、耐久力と競争力、タイトフォワードとルースフォワードのダイナミックな結び方はよく知られています。

リーダー格も認められ、オールブラックスとして史上最多の92試合に出場、うち51試合でキャプテンを務める(こちらも史上最多)という記録を残しました。

ジョン・カーワン
18才にしてアマチュアのオークランド・マリスト・クラブから州代表に選出されて以来、カーワンはラグビー界で幅広く活躍しています。

身長190cm近い頑強な体格は、ウイングとしては珍しいほど大柄ですが、歩幅の広さと意志の強さ、落ち着いた雰囲気が印象的な選手でした。

1992年にオールブラックス初の50テストマッチを達成。オールブラックスでのプレイは1994年が最後となりましたが、63テストマッチで35トライは当時の最多記録でした。

デーヴィッド・カーク
オタゴ大学医学部卒業。ラグビー界でも抜群に洗練された人柄と発言力、思慮深さで知られています。

オールブラックス入りは1983年、以来17テストマッチ(うち11試合はキャプテン)で24ポイントを獲得しました。

カークの業績でも特に有名なのは、1987年のラグビー・ワールドカップの決勝でフランスを下し、オールブラックスを優勝に導いたことです。同年ラグビー界への貢献により大英勲章第5位を授与されています。26才で現役を引退した後は、オックスフォード大学のロードス奨学生として渡英しました。

アンディ・ヘイデン
全国代表として100回を超える経験を有するラグビー界の豪傑。フィールドの内外で持ち前の個性と機転を発揮しています。

オールブラックス入りは1972年、テストマッチデビューとなった1977年の対ブリティッシュ・ライオンズ戦以来、41キャップで2トライを獲得。オークランドをはじめ、ロンドンのハーレクインズ、イタリアのアルギーダといったクラブチームでも活躍しました。

ラインアウトのテクニックとパワフルなスクラムで知られる伝説のフォワード選手で、ニュージーランド代表として117試合、総計300を超えるトップレベルの試合をこなしました。これはラグビー全般の世界記録で今も第3位となっています。

アンドリュー・マーテンス
第一線で12年も活躍したアンドリュー・マーテンスほど、幅広いファンに支持された選手はニュージーランドでもそう多くはありません。彼の計り知れない才能は、キックや見通しの正確さ、ロングパスで存分に発揮されました。

カンタベリー地方出身。ニュージーランド代表として獲得した967ポイントは今も歴代2位を維持しています。

トップレベルの281試合で獲得した通算3178ポイントの内訳は、カンタベリー代表として108試合1056ポイント、クルセーダーズで87試合981ポイント、オールブラックスで72試合(テストマッチ70)967ポイントとなっています。

マイケル・ジョーンズ
フランカー、ナンバー・エイトとして活躍した彼のニックネームは「アイスマン」。自信に満ちた冷徹さと、試合中のケガで大量のアイスパックを使ったことに由来しています。

雑誌ラグビー・ワールドの特集では、20世紀の歴史に残るオールブラックス選手として、コリン・ミード、ショーン・フィッツパトリックに次ぐ第3位に選ばれました。

計55回の国際試合に出場しましたが、信仰上の理由により日曜日の試合は欠席しています。

1980年代終わり頃から90年代にかけてはオークランド・ブルースのキャプテンを、2004年にはサモア代表のコーチを務めました。

また、ジョーンズはオークランド大学で3つの学位を取得しています。ニュージーランド在住の太平洋諸国系の若者の間で特に模範的な存在とされています。


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